タモリの弔辞の文字起こし!【赤塚不二夫の葬儀】



tamotitiタモリの弔辞の文字起こし!【赤塚不二夫の葬儀】
昨年「わらっていいとも」が終了して大きく話題になったタモリさん。そんなタモリさんが読んだ赤塚不二夫さんへの弔辞が注目されています。なんでも弔辞の中でギャグを入れていたという話なのですが・・・もしかして不謹慎?全文文字起こしでお届けします。

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タモリと赤塚不二夫の関係

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タモリさんと言えば昨年はとても大きく取り上げられましたよね。
そんなタモリさんですが赤塚不二夫さんの葬儀で読んだ弔辞が話題になっています。

というかそもそも赤塚不二夫さんとどんな関係が・・・?と思われる方も多いかとおもいますのでそのあたりから解説していきますね。

実はタモリさんを芸能界というかお笑いの世界に引き入れたのはまさに弔辞を読んだ赤塚不二夫さんだったんです。(タモリさんのファンには有名な話かもしれません。)

タモリさんは芸能界でもかなり珍しい方であり、芸能界に入ったのはなんと30歳
大器晩成とはまさにこのことですね。

もともとタモリさんは芸能界などの華やかな世界にはあまり興味がなかったらしく、たまに東京に来ては素人芸人として活動するくらいだったらしいのですが、その噂を聞きつけた赤塚不二夫さんがタモリさんを一度見てみようと足を運んだそうです。

そこで赤塚不二夫さんはタモリさんの芸に惚れこんでしまいます。
すぐに数カ月先の自分の番組に出るように話をしました。

しかし日数がかなり空いてしまうことや福岡を生活の拠点にしていたためタモリさんは一度断ったといいます。それでもまたタモリを見たいという赤塚不二夫さんはなんとその場で自分の部屋に住みこむように説得したといいます。

赤塚不二夫さんは当時、超がつくほど人気漫画家であり4LDKのマンションに住んでベンツに乗っていたらしいのですが、それを全て自由につかっていいという条件でした。
(さらに毎月20万~30万の小遣いも支給)

家をタモリさんに譲った赤塚不二夫さんは、仕事場所のロッカーを倒してそのうえに布団をしいて寝るなどしていたみたいですね(信じられない話ですが・・・)

30歳でしかも当時のお笑いは誰かに弟子入りして修業をしてから・・・という風潮がまだ強い時代だったので赤塚不二夫さんの人を見抜く目にはものすごいものがあったということなんだと思います。

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赤塚不二夫への弔辞でギャグ!?

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そんなタモリさんにとって恩人といっても過言ではない赤塚不二夫さんの葬儀でのタモリさんの弔辞はさすがというかタモリさんらしい弔辞でした。

なんと弔辞を呼んでいるように見せかけて紙面には何も書いていない白紙を読んでいたのです!

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よく見ないとわからないですが、確かに白紙です。
実は前日に弔辞を考えて書いていくのは面倒だなと思って「勧進帳」をすることにしたんだとか。

※勧進帳とは歌舞伎のお話であり、あの源義経が東北にのがれようとしている時に関所で正体がばれそうになったのを、付き人の武蔵坊弁慶が全く関係のない巻物を見ながら勧進帳のように読んで危機を逃れたという内容です。

それにしてもものすごい肝の太さですね・・・
最後に弔辞の文字の書き起こしがありましたので置いておきますね。
(内容自体はすごく真面目です。)

 

弔辞

8月2日にあなたのの訃報に接しました。6年間の長きにわたる闘病生活の中で、ほんのわずかではありますが回復に向かっていたのに、本当に残念です。

われわれの世代は赤塚先生の作品に影響された第1世代といっていいでしょう。あなたの今までになかった作品や、その特異なキャラクター、私たち世代に強烈に受け入れられました。10代の終わりからわれわれの青春は赤塚不二夫一色でした。

何年か過ぎ、私がお笑いの世界を目指して九州から上京して、歌舞町の裏の小さなバーでライブみたいなことをやっていた時に、あなたは突然私の眼前に現れました。その時のことは今でもはっきりと覚えています。赤塚不二夫が来た。あれが赤塚不二夫だ。私を見ている。その突然の出来事で、重大なことに、私はあがることすらできませんでした。終わって私のところにやってきたあなたは、「君は面白い。お笑いの世界に入れ。8月の終わりに僕の番組があるからそれに出ろ。それまではすむところがないから、私のマンションにいろ」と、こう言いました。自分の人生にも他人の人生にも影響を及ぼすような大きな決断を、この人はその場でしたのです。それにも度肝を抜かれました。

それから長い付き合いが始まりました。しばらくは毎日新宿の「ひとみ寿司」というところで夕方に集まっては深夜までドンチャン騒ぎをし、いろんなネタを作りながら、あなたの教えを受けました。いろんなことを語ってくれました。お笑いのこと、映画のこと、絵画のこと。他のことも色々とあなたに学びました。あなたが私に言ってくれたことは、いまだに私にとって金言として心の中に残っています。そして仕事に活かしております。

赤塚先生は本当に優しい方です。シャイな方です。麻雀をするときも相手の振り込みであがると相手が機嫌を悪くするのを恐れて、ツモでしか上がりませんでした。あなたが麻雀で勝ったところ見たことがありません。その裏には強烈な反骨精神もありました。あなたは全ての人を快く受け入れました。そのためにだまされたことも数々あります。金銭的にも大きな打撃をうけたこともあります。しかし、あなたから後悔の言葉や相手を恨む言葉を聞いたことはありません。

あなたは私の父のようであり、兄のようであり、そして時折見せるあの底抜けた無邪気な笑顔は、はるか年下の弟のようでもありました。あなたは生活全てがギャグでした。たこちゃん(たこ八郎)の葬儀の時に、大きく笑いながらも目からはボロボロと涙がこぼれおち、出棺のさいにたこちゃんの額をぴしゃりと叩いては、「この野郎、逝きやがった」と、また高笑いしながら大きな涙を流していました。あなたはギャグによって物事を動かしていったのです。

あなたの考えは全ての出来事、存在をあるがままに前向きに肯定し、受け入れることです。それによって人間は、重苦しい陰の世界から解放され、軽やかになり、また、時間は前後関係を断ち放たれて、その時、その場が異様に明るく感じられます。この考えをあなたは見事に一言で言い表しています。すなわち、「これでいいのだ」と。

今、2人で過ごしたいろんな出来事が、場面が、思い浮かんでいます。軽井沢で過ごした何度かの正月、伊豆での正月、そして海外への、あの珍道中。どれも本当にこんなに楽しいことがあっていいのかと思うばかりのすばらしい時間でした。最後になったのが京都五山の送り火です。あの時のあなたの柔和な笑顔は、お互いの労をねぎらっているようで、一生忘れることができません。

あなたは今この会場のどこか片隅で、ちょっと高いところから、あぐらをかいて、肘をつき、にこにこと眺めていることでしょう。そして私に「おまえもお笑いやってるなら弔辞で笑わしてみろ」と言っているに違いありません。あなたにとって死も1つのギャグなのかもしれません。

私は人生で初めて読む弔辞が、あなたへのものだとは夢想だにしませんでした。私はあなたに生前お世話になりながら、一言もお礼をいったことがありません。それは肉親以上の関係であるあなたとの間に、お礼を言う時に漂う他人行儀な雰囲気がたまらなかったのです。あなたも同じ考えだということを、他人を通じて知りました。しかし、今、お礼を言われていただきます。赤塚先生、本当にお世話になりました。ありがとうございました。私もあなたの作品の1つです。合掌。

平成20年8月7日 森田一義

 

それにしてもタモリさんは本当に規格外というかあっぱれです。
もう年齢も相当ですが、これからも活躍していってほしいですね!

タモリさんの結婚やサングラスのブランドについても記事にしているのでよかったらこちらもご覧ください!

タモリは結婚している?サングラスのブランドは?


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