織田信長に黒人の家臣、名前は弥助!?



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尾張のうつけ者と言われその型破りでスケールの大きな視野から日本の時代を動かした織田信長。実は彼には黒人の家臣がいたと言われています。名前は弥助(やすけ)というそうなのですが、一体どんな人だったのでしょうか?

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織田信長に黒人の家臣、名前は弥助!?

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織田信長といえば外国からの文化を積極的に取り入れていたことは有名です。
甲冑や鉄砲など戦の道具に始まり、地球儀や金平糖などにも興味を持っていたといいますが、実は黒人の部下がいたことはご存知でしょうか?

どうやらその黒人は弥助(やすけ)という人だったそうなのですが、いったいどこで織田信長と出会う機会があったのでしょうか?

その黒人のことはしっかりと文献にも記載されており、フランソワ・ソリエーという人が著した『日本教会史』の中にそのことについての記述があるんだとか。

それによると当時西洋からキリスト教を広めるために多数日本に来ていた宣教師と呼ばれる人々がキーマンとなっていたようです。当時はキリスト教を受容することに対しては賛否両論あったものの、織田信長はその好奇心から積極的に西洋の文化を受け入れていました。

そんな中、イタリア人の宣教師であったアレッサンドロ・バリニャーノが日本に来た際、インドから引き連れてきたのが弥助でした。

織田信長は黒人という人間に会いたいという気持ちが強く、彼が謁見を求めてきた際に予定よりも早く本能寺に来るよう急かしたといいます。

そして実際に織田信長と対面した黒人の奴隷。
織田信長は彼に対して興味津々でした。

『信長公記』には切支丹(キリシタン)国より、黒坊主参り候と書かれており、十人力の剛力とか牛のように黒き身体とも表現されています。

織田信長が弥助に出会ったときには一つ面白いエピソードがありまして、実は最初信長はただ肌に墨を塗っているだけなのではないのかと疑って信じなかったんです。

そこで実際に着物を脱がせてわざわざお風呂に入れたのですが、不思議と彼の肌は白くなるどころかますます黒光りしたという記述が先の文献にはあります。

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弥助はどこからやってきたのでしょう?

黒人であった弥助はなんと六尺二寸(187㎝~188㎝くらい)もの巨躯であり、当時の日本人の平均身長は159㎝と言われていましたのでまさに巨人というか驚異的な大きさに見えたことだろうと思います。

当時の年齢は26歳~27歳だったそうです。
出身は文献によるとポルトガル領の東アフリカ(今でいうモザンビーク)だそうです。

さて、初めて黒人を目にした織田信長が弥助をお風呂に入れて本当に肌が黒いのか試したところまで話をしました。

織田信長は彼の肌が元々黒いことに納得し、自分の部下として迎え入れました。待遇もちゃんと武士としての身分を与えられ、織田信長には大変気に入られていたと言います。

実は弥助は日本語が多少理解できていたらしく、信長の配下になってからは子供のお守りをしたり、城下町に買い物をしにいっていたそうです。

本能寺の変が起きた際には弥助も本能寺に滞在しており、明智軍と戦いましたが捕縛されてしまいます。しかし明智光秀は彼を殺さずに釈放しました。

明智光秀にとっては「動物みたいなものだからほっとけ」という感じだったとか。
おかけで弥助は命拾いをしたんですね。

ところで信長やなぜ黒人の彼に弥助という名前を与えたのかというところですが、実は彼の出身地であるモザンビーク島ではヤスウェという名前の男性が多数いることがわかりました。

おそらくもともとはヤスウェという名前であったことから日本語の名前で最も近しい弥助という名前にしたのではないでしょうか?

明智光秀から釈放された後の弥助がその後どこで何をしていたかは残念ながらわからないことが多いのですが、他の文献にも多数黒人の記述があり、また別の主に仕えていたのかもしれません。

ただ当時は弥助のような黒人が日本には多数来日していたようなので正確なことはわかりませんね。

しかし、当時から黒人に興味をもって部下にまでしていた織田信長の先見の明はすごいですね・・・今回は以上です。

織田信長については他にも記事を書いていますのでよかったら・・・
織田信長と武田信玄の戦い、勝つのは・・・?


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